令和のお歳暮事情

お正月の風習

一年の始まりであるお正月。本来「正月」は1月の別称で、元旦、三が日、松の内、小正月と、さまざな正月行事が行われます。元旦には「歳神様(としがみさま)」という新年の神様が家にやってくるとされています。その歳神様をお迎えしてお祝いし、たくさんの幸せを授けてもらうために、様々な正月行事や風習が生まれたのです。
今回は、お正月の風物に関するいろいろな「いわれ」を見ていきましょう。

「初日の出」

みなさんもご存知、その年の初めに昇る太陽が「初日の出」です。初日の出を拝むために眺めのいい場所に足を運ぶ人もいるのではないでしょうか?
そもそもなぜ、初日の出を拝むのかというと、やはり「歳神様」が関係しています。
諸説ありますが、「歳神様」は、初日の出とともに現れるといわれています。
年の初めに一年の幸せをもたらすために、降臨してくると考えられていたのです。
初日の出を見ると自然とめでたい気持ちになりますが、歳神様がお越しになるのを見に行くということだったのですね。

ちなみに、初日の出を拝む習慣は昔からあったわけではなく、明治以降盛んになったといわれています。それ以前は、「四方拝(しほうはい)」といって、東西南北を拝んでいたそうです。それが明治時代になると、新政府の「国家神道政策」が強化され、日の出を拝む習慣が盛んになったそうです。

「初詣」

年が明けて初めて神社・仏閣にお参りすることを、「初詣」といいます。
旧年中のお礼や、その年の一年が良い年になるように祈ったりしますよね。
実は、今の形で「初詣」というスタイルになったのは明治以降なのです。

「初詣」の由来は2つあると言われてます。

1つ目は「年籠り(としごもり)」
大晦日の夜から元旦の朝まで、一家の家長は、その土地の氏神様がいる神社に泊まって、夜通し家内安全や豊作を祈願したといわれています。

2つ目は江戸時代の「恵方参り」が由来となっています。
恵方とは、歳神様がいる方向を指します。その方向は、干支に従って毎年変わります。江戸の人は、恵方に当たる神寺に、自ら出向いてその年の無事を祈ったそうです。ところが明治時代以降は、鉄道の発達により、遠くまで行けるようになりました。そんなことから次第に、「方角」の意識が薄くなり、「初詣」という言葉がだけが残ったといわれています。 現代では、方角にこだわることなく、有名な社寺や自分が好きな社寺へ参拝するようになりました。

「鏡開き」

松の内が明けたら、正月に供えた鏡餅を下げて食べることで、歳神様に力を授けてもらいます。松の内は地域によって異なりますが、関東は1月7日まで、関西では1月15日までです。包丁は使わずに、手や木槌などで餅を小さくし、雑煮やお汁粉などにして食べます。
なぜ、包丁は使わないのかというと、2ついわれがあります。一つ目は神霊が刃物を嫌うためです。2つ目は、武家から始まった行事であるため、刃物は切腹を連想するので、手や木づちなどで鏡餅を割ったのが由来とされています。
また、「餅」は古くからハレの日に、神様に捧げる神聖な食べ物として考えられて来ました。鏡餅も、「歳神様」に捧げる神聖な食べ物として室町時代以降から定着していったといわれています。
鏡開きをすることで、歳神様の魂が宿っているとされる、鏡餅を食べ、力を授けてもらい、家族の一年の無病息災を祈ります。鏡開きで歳神様を見送り、お正月に区切りをつけます。
いまは、鏡開きの行事を見かけることは少ないですが、剣道・武道などの道場では、寒稽古終了後、鏡餅を雑煮やお汁粉にして食べる習慣が残っているそうです。

「雑煮」

お正月料理に欠かせない「雑煮」。
雑煮は歳神様に供えた餅を神棚から下ろし、それを野菜や鶏肉、魚介などで煮込んで作った料理です。お供えしたお下がりを頂くことで、歳神様の力を授けていただきます。
もともと、雑煮は正月の料理ではなく、室町時代ごろの儀礼的な宴会など出されたのが始まりです。最初に雑煮を食べて胃を安定させてから宴会に移るための前菜だったものが、やがて正月料理になったといわれています。 雑煮は地域によって餅の形や味付けに違いがあります。主に、関東は切り餅、関西では丸餅が一般的です。関西では白みそ仕立て。関東ではしょうゆ仕立ての雑煮と分かれます。
お正月に、全国のお雑煮を食べ比べてみるのも楽しいですね。

「お年玉」

お正月に子供たちが一番楽しみに、心待ちにしているのが「お年玉」です。
もともとお年玉とは、歳神様からの新しく授かる魂を「年魂」といいました。
現代では、誕生日を迎えると年齢を一つ重ねるという考え方ですが、かつては、歳神様から「年魂」をもらってひとつ年齢を重ねていました。年神様の「年魂」をいただくということが本来の「お年玉」という本来の意味です。
しかし、「歳神様」は形が見えません。どのようにしてもらっていたのでしょうか?
実は、歳神様に供えていた丸餅を下ろして食べることで、歳神様の力を授かるのです。
この餅玉を「御歳玉」、「御年魂」と呼んだことから徐々に「お年玉」と呼ばれるようになったそうです。
ちなみに、お年玉は年少者や自分より地位の低い人に贈るのが通例となっています。

「書き初め」

新年に初めて筆を使い、一年の抱負や目標をしたためるのが「書き初め」です。一般的には2日に行われます。書き初めは、恵方(縁起のいい方角)に向かって、めでたいことばや詩歌を書いたのが始まりと言われています。書き初めは「吉書」とも呼ばれ、もともと宮中で行われていた儀式でした。
やがて江戸時代には、寺子屋から一部庶民に広まりました。
明治以降の学校で習字教育が重視されるようになり、庶民の間にも書き初めの習慣が広まるようになりました。
15日の小正月に正月飾りを燃やす行事「左義長」(どんど焼き、おさいとうなど地域で呼び名が変わります)に一緒に燃やすと、その炎が高く舞い上がると字も上達するともいわれています。

まとめ

お正月の風習は、このほかに、その地域よって、根ざした祝い方や正月行事のとらえ方がたくさんあります。歴史をたどれば、行事の由来は現代と違っても、昔も今も、神や人を敬う気持ちは同じということがわかります、これからも、大切に伝承していきたい日本の風習です。