紫禁城 さまのエピソード
もうかれこれ人生50数回のクリスマスイブを迎える。それでもたった一回だけ忘れられない思い出がある。
そのイブの夜、本当に愛し合った人と一緒に目撃した巨大天の川の流れ星は、私にとって、本当の意味でのクリスマスプレゼントとなり、珠玉の宝物となっている。
もうかれこれ人生50数回のクリスマスイブを迎える。それでもたった一回だけ忘れられない思い出がある。
そのイブの夜、本当に愛し合った人と一緒に目撃した巨大天の川の流れ星は、私にとって、本当の意味でのクリスマスプレゼントとなり、珠玉の宝物となっている。
はじめてターキーチキンを作ってみたが、チキンが大きすぎてオーブンレンジに入らないわ、無理やり入れたら真っ黒焦げになって大大失敗でした。せっかく奮発したのに、勿体なかったです。
娘が小3のでサンタがいると信じていた頃。「サンタさんにかわいいバッグもらった~嬉しい」「プレゼント、アピタ(地元のスーパー)の袋に入ってた」「…あ」と、別の子が「サンタさん、アピタで買ったんだよ」と、全くフォローにならないフォロー「…包装くらいして欲しかった…」…と、呟いていたそうです。
はじめてターキーチキンを作ってみたが、チキンが大きすぎてオーブンレンジに入らないわ、無理やり入れたら真っ黒焦げになって大大失敗でした。せっかく奮発したのに、勿体なかったです。
私が子供の頃、家でケーキ屋さんをしていました。クリスマスの日には、すごい数のケーキの箱が山ずみになり、クリームが溶けるといけないので、暖房を着けず、母としっかり着込んで店の手伝いをしていました。私の家は北海道…12月、半端ない寒さです。
それでも店が閉店した後のクリスマスケーキを楽しみに、お互い鼻の頭を赤くしながら頑張って店番をしました。今はもう、その母も他界していませんが、毎年クリスマスが来ると、その頃の事を思い出します。
あれは私が小学校に上がったばかりでしたか、その頃はもう「サンタさんはウソ」って知っていて、しかも、子供がサンタさんを信じていると親は嬉しがる、というのも分かっている、というなんとも憎たらしい子供でした。
そこで私は、小さなカードに「サンタさんへ でんどうミシンをください」と書いて、クリスマスツリーの根元に置いたのです。おもちゃの電動ミシンは、当時、憧れでした。
子供の頃、私へのクリスマスプレゼントは本、妹はドッジボールでした。朝目覚めて、妹が「私のプレゼントが無い!」と大騒ぎ。父が枕元に置いていたものの、妹の寝相が悪く手が当たり、部屋の端まで転がっていたのでした。
子供達はサンタさんを信じています
一昨年のクリスマスにサンタさんがこなかったのです
日々の行いをサンタさんは見ているからできなかったら来ないようにって言っていたら本当に来なくて、中学生と、小学生の姉妹は号泣でした 笑笑
クリスマスの次の日にハワイに行きました。母が大病から快復して10年目のお祝いで、孫も一緒に行きました。クリスマス後でも、ホテルや店にツリーやおもちゃが飾られていて、忘れられない思い出になりました。
クリスマスといえば毎年
洋菓子店を経営していたおばさんから
売れ残ったケーキを1ホールづつ もらえるのが唯一の楽しみでした
X'MAS迄に痩せてダイエットと言いながらと10キロ太った!!